ベトナムで「ありがとう」は何ていうの?実はたくさんあるベトナムのありがとう
どこの国に行ったとしても、最低限覚えておきたいのが「こんにちは」「ありがとう」などの基本的な言葉。
ベトナムでもそれは同じ。
特にベトナム人は、簡単な言葉でも、自分たちの言葉がしゃべれるとわかっただけで、ものすごく優しくなったりするので、覚えていくメリットはでかい。
さてこんなベトナムでの「ありがとう」。世界でも最も難しいと言われる発音もさることながら、実は普通に知られているよりもいろいろな種類があったりします。
今回はそんなベトナムでの「ありがとう」のお話です。
cảm ơn
ベトナム語でありがとう意味なのはcảm ơnという言葉。
発音が難しいベトナム語なので、カタカナで説明するのは難しんだけど、あえてカタカナで書くとすれば
cảm ơn(カム オゥ↑↓ン)という感じ。
後半のオンの部分を声に出す時に、口の中に空気を溜めるような感じで発音するのが特徴。
cảm ơn をベースに呼びかけ語を加えてもいい
感謝を伝えるのはこのcảm ơnを知っていれば基本的には大丈夫。
これだけでも問題はないけれど、対象となる相手の年齢や性別に応じた呼びかけの言葉を加えたりすることもできる。
日本で言う敬語とは少し違うけれど、ベトナム語の場合、話している相手の性別や年齢によって一人称や三人称が変わってくるという特徴があります。
年上の男性の場合
例えば感謝を伝える対象が、大きく年齢が離れているわけではない年上の男性(Anh)の場合はcảm ơnの後にAnhをつけて、
cảm ơn Anh(カム オゥ↑↓ン アン)になるし
年上の女性の場合
また年上だがあまり大きく離れていない女性の場合は、Chiと呼ぶため
cảm ơn chi(カム オゥ↑↓ン チィ)
といった感じとなる。
年下は固定
年下には男女問わず基本的にemと呼べばいいので
cảm ơn em(カム オゥ↑↓ン エム)
他にもお年寄り、自分の両親より年齢の上の人に使う bác(バック)
などなどいろんな呼びかけの言葉がある。たださっきも言ったようにcảm ơnさえ知っていれば問題になることはほとんどない。
その他53の「ありがとう」たち
さて、実はベトナムにも他にもたくさんの「ありがとう」があったりする。
というのもベトナムにはなんと実に53もの少数民族の人たちが暮らしているからだ。
86%以上を占めるキン(Kinh)族
いわゆる一般的に知られているベトナム語と言うのは、実際には総人口の86%と圧倒的大多数を占めているキン(kinh)族の言葉。
少数民族の中にはベトナム語も話せない人も
残りの14%の人たちは53にも及ぶ独自の言葉を持つ人たち。
今、現在では国全体の学校の数も増えてきていて、彼ら少数民族も若い人のほとんどはベトナム語を話せます。
しかし一部の民族やお年寄りの中にはベトナム語が話せない、話さないなんて人もいたりするんですよね。
(ザオ族のおばあちゃんと孫。彼らはベトナム語が喋れない)
ベトナム人でもベトナム人と話せないことも
だから例えば少数民族が多いハザンや、サパの郊外に行ったりするとベトナム人でも現地住人とコミュニケーションが取れないなんてことが普通に起こったりします。
一応国家的にはベトナムという国にはなっているものの、様々な文化権を内包するベトナムだからこその現象ですよね。
少数民族ごとにそれぞれの「ありがとう」
僕はまだベトナムに来て二ヶ月ほどしか立っていない。
だから、まだまだ全ての少数民族の「ありがとう」には触れられてません。
だから本当に「ありがとう」が53個あるかは、はっきりとは断言できないのだけど、それでも既に幾つかの少数民族の「ありがとう」に触れてきた。
その中からいくつかをご紹介。
タイ(Tai)族の「ありがとう」
キン族に続いて二番目に多い(と言っても2%)のタイ族。
言語的にはベトナム語と同じ語族にあると言われているのだけど、「ありがとう」に当たる言葉は
Bai Na(バイナー) と言う言葉になる。
全然違うよね。
モン(Mong)族の「ありがとう」
いろいろな国境にまたがっていて、ラオスなどにも住んでいるモン族。
彼らの言葉だと「ありがとう」はToo tin(トゥー ティン)と言う。
ただモン族自体もさらに様々な部族に分かれていたりして、これまた結構複雑。
ザイ(giay)族のありがとう
ザイ族のありがとうはCho pai(チョバーイ)
サパの周辺にラオチャイ(Lao Chai)と言う村は住民の半分がザイ族の村があり、その村にはザイ族が経営するCho pai Homestayと言う宿があったりする。
少数民族の言葉を知っていると、こうしたちょっと発見があったりします。
ロロ(Lo Lo)族のありがとう
総人口はわずか5000人に満たない。
それでも独自の言葉を今も持ち続けていて、De(デェ↑)と言う短い言葉が「ありがとう」を意味している。
A:お茶どうぞ
B:デェ〜
みたいな。
まとめ
いわゆる一般に言われているベトナム語の場合、ありがとうは
cảm ơnだ。
一人称をつけたり、三人称をつけたりで丁寧にすることはできるけど、フレーズとして覚えなければいけないのは少なくて済むと思う。
ただ面白いのは54もの少数民族がいるベトナムでは、それぞれに独自の「ありがとう」の言い方を持っていること。
もちろん今は多くの人がベトナム語が喋れるとは言え、こちらが相手の言葉を知った時の歓迎されっぷりは、ベトナム語を知ってるときだけの時よりもものすごかったりします。
やはり彼らのアイデンティティとして、何族であるというのは大事な要素だからです。
文化が変われば言葉は変わる。
今回は一つの国にたくさんの民族を内包する国だから起こり得るたくさんの「ありがとう」のお話でした。
クアンバ(Quan Ba)地区でベトナムの伝統と自然に触れる旅【ハザン省】
自然も多く美しい場所だけど、アクセスの悪さからサパなどに比べれば、まだまだ訪れる人は少ない土地。
特にハザン市から60キロほどのクアンバ地区は、この地区の拠点となるハザン市からかなり近いこともあって、せっかく訪れても昼食だけ食べてすぐ移動。みたいな旅のスタイルを取る人も少なくない。
でもこの土地には、訪れずに帰ってしまうにはもったいない場所がいくつかある。
今回は辺境の地の、さらに辺境の場所をご紹介していきたい。
ルンケイ洞窟(Lung Khuy Cave)
まず紹介するのは、クアンバ(Quan Ba)の近くにある洞窟ルンケイ(Lung Khuy Cave)。
地図アプリは信用ならない
この洞窟。ハザンの観光地としては、いやベトナムの観光地にしては、と言ってもいいくらい割と整備された観光地。
ちゃんとした道路も通っているのだけれど、Google Mapとか、旅人に人気のMapsMeとかとの連動はイマイチ。というかここに限らずベトナムにいるとGoogle先生が嘘を吐くことも多い。
ナビに頼ると、こんな辺境の道を突っ切る道に案内される。まぁ確かに最短なんだけど、岩だらけでベッコベコな上、こけたらそのまま滑落しそうで結構怖い。
正しいルート
正しいルートは、上の○印つけたあたり。
クアンバの街を大通り沿いに抜けると見えてくるガソリンスタンドのちょっと手前あたりだ。
道なりに進む
ちゃんと道に入ったら、あとは基本的に道なりにずーっとまっすぐ行けばいい。
村に入るとすぐ駐車場が見えてくる。
バイクで来た人は、ここにバイクを止めて洞窟探検に向かうことになる。ちなみに英語の看板はない。Xe Mayがバイクの意味なので、そう書いてある場所に止めよう。5000ドン。
駐車場からは徒歩で
バイクをおいたら、洞窟までの道をテクテク歩く。
ちなみに洞窟までの道のりは結構厳しい。
洞窟っていうと、山の下の方にあるってイメージが強いと思うけれど、ここの洞窟は山の上の方にある。
上の写真も登ってきたから、振り返って撮ったもの。
結構急なのがわかってもらえるはず。
入場料は50000ドン
ただこのあたりは本当に整備されているので、この道も相当に登りやすい。体力次第な部分はあるけれど、20分もあれば洞窟の入り口にたどりつくと思う。
入場料は50000ドン(250円)。
内部の様子
この洞窟。規模としてはかなりのもので、相当巨大な鍾乳洞靴だけど、しっかり整備された歩道というかプラットフォームがあるために、あまり冒険感はない。
ただ鐘乳石サイズ感とか、洞窟の広々した感じは、今まで訪れたオーストラリアやカナダなんかの洞窟と比べてもかなり上位に入ると言っていいレベル。
見てこの広々した感じ。
地底湖に続く道など、一部非常に狭かったり、天井が低いところはあるものの、基本的には普通に立ったまま探索できるのでしんどさは感じないはず。
ルンタム(Lung Tam)でモン族の伝統工芸に触れる
クアンバエリアでのもう一つの見どころがルンタム地区にあるLinen Cooperativer。
ここは昔ながらの伝統的なやり方でモン族の人たちの伝統装束を作っている。
木の皮をより分け、それを糸につむぎ、布にして、出来上がった布を使ってカバンや、財布などにして販売している。
商品は一個1500円くらいからなので、ベトナム基準で考えれば確かに高いけど、全行程手作業であることを考えれば安いと思う。
孤児たちも働く
ちなみにここの工房自体、上がった収益で孤児たちを助けるために設立されたもの。
工房のオーナーは今も、25人の孤児たちの世話をしているという。
孤児が多い地域
実はこの地域、親世代が某隣国に連れて行かれたまま帰らなかったりして孤児が多い地域。彼女らは午前中は学校に通い、学校が終わった午後からはこうして作業を手伝っているのだ。
まとめークアンバ地区オススメルート
さて、クアンバ地区には以前、記事でも書いたザオ族の村ナムダム(Nam Dam)もある。
この街を含め、行けるところは集中してるので、
- 朝ハザンを出発
- クアンバで昼食
- 洞窟探検
- 伝統工芸見学
- ナムダムに宿泊
というようなコースをオススメしたい。
この地域には美しい景色、伝統工芸とベトナムらしさがギュッと詰まったエリアになる。
サパなどのような観光地での、しつこい客引きに疲れた人には、ぜひこの地域を訪れてみることをオススメしたい。
ベトナム、ハザン省。少数民族ザオの村ナムダム(Nam Dam)の「Ly Quac Thang Hmestay」を訪れて
アクセスが悪いため、他の地域のような観光地になっていないけれど、その分手付かずの自然と、素朴な少数民族の人の生活に触れられると、冒険好きなバックパッカーたちの間で人気が高まっているエリア。
この地域を回る方法として、最も一般的なのは省都であるハザン(Ha giang)でバイクをを使って自力で回ること。バスでもいけるけれど、むっちゃくちゃたくさんの人と押し込められる可能性が高い上に、基本的には移動するためのバスなので景色が楽しめない。
というわけで、この地域まではバスで来た人なども、省都であるハザン(Ha giang)でバイクを借りる人が多いんですね。
道路がグルっと回れるループ状になっているので、ちょこちょこと好きなところに泊まりながら、数日かけて回れるんです。
でも実際行ってみると、情報がないために比較的大きな都市であるイェンミン(Yen Minh)やドンヴァン(Dong Van)に泊まる人がやたらと多い。
この二つの街はそれなりに都会で泊まれるとこも多いのだけど、あまりに普通の街で面白みはない。せっかく少数民族の多い地域に来たのだから、彼らの家に泊まってみたい…ということで、今回はハザン田舎に泊まろうの巻なのです。
ザオ族の村ナムダム(Nam Dam)
というわけでまず訪れたのが、ザオ族の村ナムダム(Nam Dam)。
初日の宿として
この村は省都であるハザン(Ha giang)から60キロほどのところにあるので、バイク旅でループを回る場合は初日の宿、反時計回りで回る場合は最終日の宿として訪れると良い感じ。
民族衣装を着て生活する村人たち
この村。別に目立って特徴的な村というわけではないんですが、村の住人が全て少数民族のザイ族(Dai)ということもあって、彼らの暮らしを垣間見えるのが特徴。
なんて言っても、この村の人々は今もなお民族衣装を着て生活しているんですよね。
これは興味深い!
ゲストハウスも多い
それでいて、欧米系の団体がこの地域にゲストハウスを立てる支援を行ったためか小さな村の割に数軒の宿があります。
確認しただけで4軒のゲストハウスがありました。
Ly Quac Thang Hmestay
そんな中で今回泊まったのが、こちらのLy Quac Thang Hmestay。
こちらが寝る建物。古い民家を改装したスタイル。
でもトイレなんかはちゃんとしているので安心。
一泊は80000ドン(400円)くらい。個室スタイル(カーテンがしきってあるだけど)であることを考えるとお安いです。
ただ食事は高い
ただ、この村にはレストランなどは一軒もないので、食事は基本的に宿で食べることになりますね。
朝食と夕食が50000ドン。夕食が100000ドンなので、三食つけると200000ドンほどとそれなりにお高め。
本当のホームステイに近いスタイル
ベトナムにはホームステイという名前の宿が結構あるのですが、その名前と裏腹に寝る場所も食べる場所もローカルとは別という「どの辺がホームステイやねん!」と突っ込みたくなるところも少なくありません。
ただこちらの場合、オーナー夫妻とともにみんなで食卓を囲むスタイル。
ザオ族の家庭料理を山盛りと自家製の薬草酒も振舞ってくれるので、100000ドンなら、まぁ安い方かな言えるかなと思います。
街でぼったくり定食屋とかに当たればそのくらい行くからねぇ。
(オーナーの奥さん。常に民族衣装を着て生活している)
まとめ
田舎にあるこうしたホームステイは、高級ホテルに慣れてる人には受け入れられない部分もあるかもしれないけど、経験として面白いはず。
お腹いっぱい食べて、現地の言葉を教わって、日が暮れたら早く寝る。
そんなベトナムの片田舎の体験をしてみたいって人には是非お勧めしたいところです。
カナダ、ニュージーランド、オーストラリア。ワーホリに行く前に知っておきたい寒さ対策
北ベトナムの冬はそこそこ寒い。
実際に訪れる前は、東南アジアといえばどこへ行っても熱帯で、寒いというイメージは全くなかったのだけれど、実際に来てみると寒いところも少なくない。
(Yukon canada, taken by D800)
旅をしてきて時折直面するのが寒さの問題。
暑いのはどうにもならないとは言っても、日陰に入って隠れていれば、まぁ、なんとかなる。
でも十分に装備のないまま寒さに直面すると、どうにもならない。準備は不可欠になってくるのだ。
思い返えせばカナダ、ニュージーランド、オーストラリアというワーホリ人気三カ国でも、その度に、その国ごとの寒さに直面してきた。
というわけで、今回はこれらの国での寒さ対策についてまとめてみたいと思う。
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ワープアで苦しんでいるならば、ベトナムとかで海外就職してみれば?幸せに生きるための一つのアイディア
時々2chのまとめなんてのを読むこともあります。
ほとんど日本に帰らない生活が続いているから、日本の話題というか、感覚からかけ離れすぎてもいけないかなぁ、と思うのがその理由。
こうしたまとめの記事では、ブラック企業だとか、ワープアだとか、とにかく仕事への不満や愚痴みたいなのが多い。
だいたいいつも流れは同じ。
会社の愚痴や、自分が以下に劣悪な環境、少ない給料で働いているかを訴える人がスレを立てて、それに対して、やれ辛いのはお前だけじゃないとか、おまえは恵まれてる方だとか言う人が現れる。
辛いならやめろという人もいるにはいるけれど、小数派。
大概は別段変化もないまま、スレ立てした本人が今後も何とか頑張って行こう、みたいな結論を出して終わってしまうものがほとんどのように思う。
結局の所、彼らを押しとどめてるのは、多くの人が放つこんな言葉なのだと思う
「おまえ、いくら辛くてもやめるなよ。やめたらもう後がないぞ」
でも、本当にそうなのだろうか。本当に後がないんでしょうか?
自分は海外に出るようになってもう3年になリマす。
別にエリートとしてバリバリ海外で就職しているというわけじゃない。仕事をしている時期もあるけれど、基本的には自分がしたいことを優先してやってきた。
もともとは心配性で冒険ができないタイプ。でも、今では「まぁ、何とかなるさ」と思うようになっている。
別に世界のアチコチ回って生活してるとは言っても、僕自身は一部の人が想像したり、「旅を仕事に」みたいな人が宣伝してるような優雅な暮らしをしているわけじゃないんです。
今自分自身はベトナムで、現地少数民族が立ち上げる観光事業に協力したり、今も残る少数民族の人々の生活を調査を進めるような生活をしています。
やりがいもあるし、毎日楽しく過ごしているけれど、金銭的に言えばギリギリの生活をしているし、生活環境はベトナム基準でも必ずしもいいとも言えない。
同じ年代の友人たちが、少しずつ役職などもついて会社でバリバリやっている中で、こっちはベトナムで少数民族に囲まれてのほほんやってたりするわけで、日本人的な視点で、客観的に見れば相当ヤバイ。
日本での再就職なんて言えば、もう絶望的でしかないですよね。
それでも自分自身は別に全く後がないとは考えていない。
今自分がやっていることがすべて失敗し、お金がなくて、にっちもさっちもいかなくなったとしてもどうとてもなるんだろうな、思う。
それこそ、35歳までに延長されたオーストラリアのワーキングホリデーを申請して、高賃金のダブルワークで貯金して再チャレンジしてもいいし、ベトナムのような国で現地採用の仕事を探したっていい。
農夫や狩人も経験したし、そうした内容に本気になって取り組んでみるのだって、また一興かなとも思う。
結局のところ、日本の型から外れることを恐れさえしなければ、意外となんとかなるもんなんじゃない?と思うんですよね。
例えば東南アジアでの現地採用。
海外で仕事というと、英語もできないし、とか思うかもしれないけれど、言葉が出来なくても日本向けのカスタマーサービスの拠点とか、日本人を探している企業というのはある。
例えばベトナムの現地採用の求人を見てみると、給与面で言えば、もちろん日本よりは低い。それでも10万円以上の求人がほとんどだ。
日本では10万円だと、家賃と食費を引けばほぼ残らないくらいわずかな給料だけれど、ベトナムだとそこそこ高給取りに分類される。
まさかと思うかもしれないけれど、現地の職業案内所に勤めている友人によれば、首都ハノイでもつき500万ドン(2万五千円くらい)の給料がもらえるならさほど悪くない条件なんだとか。
実際、ベトナム人では給料のいい公務員2年目でも給料が900万ドン(4万5千円)程度だというから、10万と言えばその倍。
物価から考えても、この額があれば、ホテル暮らしをして、毎食レストランで食べても賄えるですから、普通に家を借りて住むと考えれると、どのくらい生活レベルをあげれるかと言うのは想像できるかなと思う。
実際の所、求人を見てみても、20万くらいの求人があったりすることも珍しくありません。
月収20万あれば、ベトナムでは疑いなく高額所得者です。働く国を変えるっていうことだけで、いきなりその国の高所得者層の仲間入りができちゃうんですよね。
もちろん僕身身給料が上がるとか、いい家に住むとかいうのがすべてではないと思ってます。
旅に出るまでは比較的真面目というか保守的に生きてきた反動から、今では一気に変人方面に振り切れてしまって、長期でのテント暮らしや、電気がなくボットン便所な少数民族の村でも楽しく過ごせる。
むしろそういう生活を探し求めるようなタイプになっちゃっているからです。
だから僕なら都市にある豪邸に住めるチャンスと、森の中にあるログハウスに住めるチャンスだったら迷わず後者を取ります。
ただ昔の僕のように、普通に日本で働いて、そしてその環境に苦しんでいる人たちにとってみれば、働いた分が報われて、いい生活ができるようになるというのは手取り早く幸せに近づける方法だと思うんです。
付利意雷布亜(ふりいらいふぁあ)さん
もこの記事で書いているのですが、僕たちは日本人であるというだけで、世界的に見れば既に上位4%の富裕層に入っています。
日本という国に生まれ、その国の言葉を喋っているという、ただそれだけの理由で、大抵の国の人が一生普通に働いても届かないような給料に簡単に届く条件にいるのが、我々日本人なんですよね。
これはひどくアンフェアな話だとは思います。
今いるベトナム北部では、5万以下で中国に売られていった女性や子供の話を聞いたり、必死に頑張っている大卒の若者が初任給4万なんて話を聞いたりもするわけで、そのたびにやりきれない思いを抱きます。
ただ、だからと言って、与えられたチャンスを掴んで、幸せになることを否定される謂れはないでしょう。
いい給料をもらって、美味しいものを食べる。
ベトナムとかタイとかで海外就職とかをすれば、同じ給料でも毎食インスタントヌードルみたいな生活はしなくて良くなるはずです。
ついでに言えば、少しづつ海外就職でキャリアを積んで行けば、もっと給与水準の高い国にも移れるかもしれない。
日本で昇給の可能性もなく、キャリア形成にもならず、大したお給料ももらえないで、話をする内容も会社の愚痴ばかりみたいな生活をしているくらいなら、「よっしゃ、いっちょベトナムで高所得者になって女にモテちゃるか」くらいの気持ちでチャレンジしてみてもいいと思うんですよ。
デイル・ドーテン氏の「仕事は楽しいかね?」でも人は変化を恐れる生き物だと言っています。
でも恐れるべき変化と、恐れなくてもいい変化があると思うのです。
僕身身日本ではワープアと言うのは経験していません。
お給料としては自分が満足できる額をもらっていましたし、労働時間で言っても他に苦労をしている方に比べればよっぽどマシな環境だったのだろうと思います。
だからこそ辞める時には「その仕事を辞めたら絶対後悔する」とか散々言われました。「頭おかしいんじゃないか」とか真顔で言われたこともあります。
それでも自分は、辞めるという自分の決断を後悔したことは一度もありません。
変化というのは、はじめに起こす時は恐ろしいものですが、おこってしまえば案外そうでもないものです。
今おかれている状況が辛ければ辛いほど、抜け出した時の解放間というのはものすごいはずです。
僕たちは育ってくる中で、余所見をせずに、逃げずに生きていけと、教えられてきたのかもしれません。
でも誰だって幸福に暮らしたり、幸せに暮らしたりする権利はあるはずです。
余所見をしたって、逃げたっていいんです。
誰かに愚痴たって、助けてはくれません。でも抜け出す方法はあるはずです。
旧正月をベトナム北部で過ごして。テト休暇に観光は避けようと言う話
Kun Ho ba sai!!
1月28日0時。ベトナム最北部に位置するハザン省の田舎街ドンヴァンに大きな声が響き渡りました。
これは日本語で言えば、「新年明けましておめでとう」と言う意味です。
なぜ今正月なのか
なぜ1月の終わりに正月?と思われる方もいるかもしれません。
実はアジアには、1月1日よりも、旧正月の方を大事にしている国があります。
ベトナムもそんな国の一つ。
彼らにとって正月と言え、今の時期。つまり1月の終わりから、2月の始めの時期であって、日本で言う元日は普通と全く変わりません。
旧正月って何?
旧正月って何かというと、簡単に言えば昔の暦…つまりカレンダーでの正月のことです。
今、僕たちが日常生活で使っているのは、地球が太陽のまわりをどのくらいの期間で回るのかと言うことを元に作られた太陽歴と言われる暦を使ってます。
しかし、日本を含めアジアの国では、月が三日月になったり、満月になったりする期間を元にして作った太陰暦を使ってました。
この暦は大雑把に言って、今より一ヶ月くらい遅れています。なので、今年の場合は
2017年だと太陽歴で言う1月の28日が太陰暦での正月に当たるんですね。
お正月はベトナム人にとって大事なもの
日本では、年中無休の店も増えて正月の感覚がなくなってきたとか、コンビニで年越しだとかよく聞く話ではありますが、ベトナム人にとってはとても大事なもの。
そのためこの時期になると、ベトナムの人々は家族とお正月を過ごすため、一斉に移動を開始するのです。
旧正月のテト休暇
そのため毎年旧正月の1週間前、もしくは数日前くらいから、年明け後数日の間にかけて、ほぼ全ての国民がテト休暇と呼ばれる長い休みに入ります。
テトとは
テトというのはベトナム語で「皆で集まる」という意味。
つまり旧正月と言う大事な日を家族で過ごすため、と最初から決められた休みなんですね。
会社もほとんどしまってしまうので、日系企業もやることがない。というわけで、駐在している日本の方なんかは、この期間に海外旅行に行ったりする人もいるみたい。
テト休暇の帰省ラッシュ
この時期になると、皆が皆、帰省のために移動を開始するため、国中の道路が大混雑。
大都市であるハノイやホーチミン周辺の道路は、帰省する人たちのバイクであふれ、バスなどの公共交通機関の料金も跳ね上がります。
店はほとんど閉まってしまいます。さすがにホテルなどは空いていますが、知らずにこの時期に旅行に来た人は相当な不便を強いられることになるので、注意が必要ですね。
旧正月の祝い方
さてそんな大事な正月、彼らは家を飾り付け。
ご馳走を作って新年に備えます。
普段は早寝早起きなベトナム人もこの日ばかりは深夜を超えて大騒ぎです。
彼らは友人、津液の家を練り歩き、そこで乾杯をして、ご馳走を食べては次の家に移動するんです。
(先祖の祭壇の前に並べられたご馳走)
彼らが飲むのは、非常に度の強いお酒。
彼らが飲んでいるのは、アルコール度数25%程度の日本酒の強い版のようなお酒と、アルコール度数40%程度とさらに強いトウモロコシのお酒。
彼らはワインと呼びますが、いわゆるぶどう酒が出てくることはありません。
乾杯をしたら必ずグラスを開けるという伝統があるので、彼らは次々とショットグラスを空けては握手を交わします。
ベトナムには飲酒に年齢制限がないので、普段から若者もお酒を飲んでいますが、この日はそれにさらに拍車がかかります。
(酩酊状態の上、2〜3人が同じバイクに乗る通称「全滅乗り」で街を走り回る若者)
学校で行なわれている宴会に、教師がお酒のボトルを持って現れて高校生に注いで回る。
そんな光景をあちらこちらで見かけるのがこの時期のベトナムなのです。
僕自身も日本人だというだけで大歓迎。皆が一杯は飲もうとするので、何十杯と飲まされました。
まとめ
ところ変われば風習も変わる。
日本では旧正月を祝うことがなくなって長いため、それを意識する人はほとんどいませんが、ベトナムでは話が別。
大量のあけおめメッセージが送られてくるのも、1月1日ではなくてこの時期なのです。
ベトナムに観光に来たいという人も、この時期は多くの店が閉まってるので不便を強いられることになるでしょう。
注意するようにしてください。
というわけで終わり
ベトナムのニャギ(Nha Nghi)って一体何なんよ?
ベトナムの田舎を旅していると、必ず問題になるのが宿の問題。
大都市であるハノイや、観光地であるサパやハロンベイなど、有名な場所であればバックパッカーやホテルなどをオンラインで見つけることも容易だけれど、地方都市に行くとそうもいかない。
人口数十万人の都市にネットで引っかかるような宿は1、2軒(しかも高級ホテル)というのもザラなのです。
そんなわけで、ネットを使わない安宿探しの方法が必要だなと考えながら、走っていたところ、こんな看板が目に入りました。
一泊10万ドンならば、バックパッカー並みですから、これは安い!
でも気になることも一つ。そもそもニャギってなんなんよ?
ニャギってなんなのか調べようと、ググってみると、目に入るのは「性欲」とか「お姉さん」とか、そういう言葉。
それぞれの記事を見てみても、ニャギはラブホだ。とか連れ込み宿だとか書いてあります。
いろいろ調べているとベトナムには変態的行為を目的に多くの外国人(日本人含む)が訪れるドーソンという町があり、そこにあるニャギが実質的な売春宿的な要素を持っているせいで、こういう認識になっているみたいなんですよね。
でもベトナムの田舎を走っているとわかるのですが、ニャギって本当いたるところにあります。田舎道にポツンと立つみたいな怪しい雰囲気のところもあるにはあるのですが、田舎町の商店街の中にも普通にあったりする。
これが全部売春宿のような場所たとは考えられませんから、どうも認識が誤っているような気がする。
…となれば聞くのがてっとり早い。友人のベトナムっ子に聞いてみることにしました。
ねーねー、ニャギって何?
ニャギ?えーと、なんだっけそうそうMotelだよ
モーテルかー。ホテルとは何が違うの?
うんとね。ホテルのが高くて、モーテルのが安い。でもホテルのがサービスいいよ
ふーん、じゃあラブホじゃないんだ?
ラブホ?
ブンブン*1するためのホテル
セクハラッ!
失敬な。セクハラじゃないよ。真面目な調査だよ
…知らないっ!…でもそういう人もいる
知ってんじゃん
知らないっ!
さてセクハラしながら集めた情報をまとめると、ニャギというのは基本的には旅行者、移動者を対象とした安宿というのが共通の認識らしい。
朝ごはんがついてきたりするところもあるらしいので、感覚的にはひと昔前の日本の旅館みたいな感じなんだろう(ひと昔前の旅館をよく知らないので、あくまでイメージ)。
だから普通に街道沿いとか、町の中にあるニャギは安宿という認識で入っても基本的に大丈夫そう。
ちなみに僕が泊まった10万ドンの部屋はこんな感じ。
広々とした部屋に広くて清潔なベット。Wifiも高速で
バスルームも清潔で、普通にホテルを名乗っているところよりも設備は上だった。
ただもちろん、これはたまたま新装オープンしたからという側面もあるにで、お値段なりの宿に当たっちゃうことももちろんあるはず。
ラブホ的な側面も?
と言ってもベト子ちゃんの言っていたように、ラブホ的な側面がないわけじゃありません。
佇まいを見てもらえばわかるように、駐車している車、バイクのプライバシーは守られるように考慮されている ところも少なくありません。
地元民の間ではそういう目的で使われていることは想像できます。
ベトナムの若者は親同居が多い
というのもベトナム人の親同居率というのはものすごく高いんですね。
いや親同居どころか、友人のうちに遊びに行ったら兄弟姉妹が一つのベッドで寝ていたなんてのも珍しくないんです。
ハノイに住む友人宅に行った時、家族 5人が2つのマットレスで寝ているのを見て驚いたことがあります。
全員の個室どころか、マットレスを揃えるゆとりもない家庭はすごく多いんですよね。
だから若者が二人の時間を取ろうと思ったら、こういうとこに入るほかありません。10万ドン(500円)は、少なくないお金ではあります。出せない金額ではないんでしょう。
ニャギは売春宿なの?
じゃあ、ニャギが売春宿なのかといえばこれはちょっと違うんじゃないかと思えます。
もちろん怪しいところはあります。
ベトナムで女の子を斡旋する店は、カフェや床屋に偽装をすると聞きます。
走っていると、こうしたどう見てもコーヒーを飲む設備がないカフェと、ニャギが乱立した変な雰囲気の通りがあったりする、
そうした場所にあるニャギは、グーグルで見つかるような、それを目的としたニャギであるのはほぼ確定なのでしょう。
ただ巷で言われているように、ニャギがそれ自体を目的とした場所かと言われたら違うようです。
お店がカフェに偽装するように、売春宿もニャギに偽装しているだけっていうのが実態に近そうです。
まとめ
ニャギの本来の用途はモーテル。
巷で言われているようなニャギの用途というのは、あくまでそれに付随して出来上がったものです。
言っておくと、ベトナムでの買春、買春は違法です。
特にハノイは取り締まりが厳しいと言われてるので、捕まってもいいならご自由に、としか言えません。
捕まりたくない人はシンガポールあたりに行って、合法的にどうぞ。
そうした点を除いて総合的に考えると、田舎ならばバックパッカーと同じような値段で個室に泊まれるいい選択肢。
予算はないけどプライベートな時間が欲しい、というような人ならば一度試してみるのも面白いかもしれません。
*1:性行為を指す言葉、東南アジアで広く使われる