ベトナムのクリスマスを過ごして。ベトナムの日常に残るフランスとは
ドン!と言う大きな音と共に乗っていたトラックが大きく揺れた。トラックが川に飛び込んだのだ。
と言っても、別にトラックは道を逸れたわけではない。これが村に入るための正式なルート。車が渡れる橋はこの村にないのだ。
さて、みなさまクリスマスはいかがお過ごしでしょうか。僕はベトナムのど田舎の小さな町に来ています。
というのも、この村に町で余ったベッドマットや毛布などの生活必需品を届けに来たからです。
なんとなく自分がサンタクロースになったような気分ですが、アジアの国でサンタというのもなんとなく不思議な気がして面白い。でも意外なことにど田舎のベトナム人もクリスマスを知ってたりします。というわけで今回はベトナムのクリスマス事情について見ていきたいと思います。
ベトナム人はクリスマスを知っているか
さて意外なほどにベトナム人はクリスマスを知っていて、祝っています。この時期にはど田舎のお店でもクリスマスを祝うための飾りつけが売られていますし、カフェに行けばクリスマスツリーが飾られていたります。
信仰心はあるのか?
ただこれが信仰心に結びついているかと言えば、これは別の話のようです。
例えば首都のハノイなどでは、フランス植民地であった影響か、大聖堂があったりします。
しかし田舎では、宗教施設といえばあって寺院くらいですし、人々も宗教に興味があるようには見えません。
クリスマスはただのお祭り
家にクリスマスツリーを飾っているベトナム人に聞いてみても、あくまでイベントごととして楽しむためにしていることで、信仰心があるとかそういうわけではないらしい。
話を聞いていると、クリスチャンとかイエスキリストと関係があるということも知らなかったりして、あくまでイベントごととして楽しんでいると言う側面が大きいみたいですね。この辺は日本と似ていますね。
日常の生活に残るフランス植民地の影響
これは一番には長くフランスの植民地だったために、その影響を強く受けていると言うことがあるのでしょう。クリスチャンたちが持ち込んだクリスマスが、信仰心のないまま現地に溶け込んで行き、そのままイベントごととして現地に定着して行ったのでしょう。こうしたフランス植民地時代の影響は、ベトナムの日常によく見られます。
ベトナムサンドイッチ
旅行者が最も目にする機械が多いフランス時代の名残と言えば、バンミーと呼ばれるベトナムサンドイッチ。フランスパンにソーセージや野菜など、好きなものを挟んでチリソースなどをかけたベトナムサンドイッチです。
フランスパンを使っていますから、当然フランスから流れてきた食べ物なわけですが、それを感じさせないほど、どこにでも見られ、皆が食べているまさに国民食です。
10000ドン(50円)くらいで見つかる非常に安価な食べ物なので節約旅の人にもありがたいですね。
フランス風建築様式
面白いことに田舎のちょっとお金持ちの家などは、どことなくフランスの雰囲気を感じさせる建築様式だったりします。これは当時、お金持ちの象徴だった外国人はフランス式の家を建てていたからなのだろうと思います。
この辺は明治時代の日本であれば、お金持ちがイギリス式の洋館を建てたりしてのと似たようなものなのでしょう。これは同じくフランスの植民地だったラオスなんかでも同じだったりします。
言葉にも残るフランス
これは、あくまで聞いていての感覚的なものですが、ベトナム語を聞いていると時にフランス語と関係があるのでは、と感じる単語が出てきたりします。
例えばベトナム若者たちの間で使われる。
”Adu"という言葉があります、意味としては「どっか行け」とか「ボケ」とかそういう類の意味合いで使われる言葉なのですが、音としては「アデュー」になります。
これってなんとなく長い別れを意味するフランス語の"Adieu"と被っているように感じられます。他にもCa Phe(コーヒー)など外国語を連想させる単語はいくつもあります。
まとめ
ところ変われば物が変わる。
国によってイベントごとや祭りなどは異なりますが、いろいろな国で共通しているけれど、関わりかたが違うものが会ったりもします。
ベトナムにおけるクリスマスもその一つ。
イベントとして楽しむけれど、別に信仰心やキリスト教にはあまり興味がない。
国ができてきた過程も違うし、経済も違う。
それでも全く違う国であると案じるベトナムと日本で、そういう点が妙に似ていたりする。
別の国に行くときは違うところだけじゃなくて、似たところを探してみるのも面白いですね。