[家まで断捨離]バックパック一つで暮らす最強ミニマリストが教える秘訣
バックパック一つで旅をし始めて3年になるゆーとです。
3年前、バックパック一つを背に海外に向けて旅立ちました。これが自分にとって人生最大の断捨離、家の断捨離を終えた瞬間でした。
モノが溢れるこの時代。日本で会社勤めをしていた自分の家にも数多くのものがありました。ストレスを解消できる方法を求めて、ひたすら新しいもの新しいものを求めて行ったのです。
しかしいくら物で満たされていても、決して心は晴れませんでした。むしろ欲しくて買ったはずのものが増えれば触れるほど、それに比例するように頭の中もぐちゃぐちゃになっていきました。
今東南アジアにいる僕の荷物は、デイバックサイズのバックパック一つに収まる程度の荷物となっています。そして自分の頭の中は、これまでの人生にかつてないほど穏やかで、いろいろなことが考えられるようになっています。
今では日本に住む人たちの間にも、ミニマリストや断捨離と言った考え方は一つの生き方として広がってきているように感じます。
ではどうやって僕が一度欲とモノに飲まれた状態から抜け出すことができたのか。それを通して断捨離を進めていくにあたって必要な考え方と行動をまとめていきたいまとめていきたいと思います。
断捨離する上で最も大切なこと
最初に言ってしまうと、断捨離の本質はものを捨てることじゃありません。
こう言うとそれじゃ断捨離にならないじゃないか、と思われるかもしれませんが、僕はものを捨てないと言っているわけでもありません。
断捨離をする上で大事なのは、断捨離という過程を通して、自分にとって本当に必要なものを見極めること。ものを捨てることは手段であって、目的ではないのです。
断捨離とは
ではそもそも断捨離とはなんなのでしょう。
断捨離とはヨガの行*1法である断業(だんぎょう)、捨行(しゃぎょう)、離行(りぎょう)から名付けられたもの。つまりいらないものが入ってくるのを断ち、持っている不要なものを捨てることで、執着心から離れるというところから来ています。
僕は家を捨て、突然バックパックだけという、普通の人と比べれば、あまりものを持たない生活に飛び込みました。しかし本当の意味でこの言葉の意味に近づけてきたのは、ごく最近のことだと感じています。
(Te prom Cambodia ,G7)
「断」つということ
断の目的はいらないもの、必要ないものが入ってくるのを断つこと。
これは次に話す捨と合わせ、自分にとって必要なものが何かを見極めるための行動になっていきます。
ただこれは何が何でも、ものを手に入れてはいけないとか、そういうことではありません。自分の欲求や、目標を見つめ、必要性があるのなら買うこともプロセスの一部です。
僕が「断」しないもの
僕は今ほとんど新しいものを買いません。しかし最近僕は最近ブルートゥース接続ができる小型のヘッドセットを買おうかな、と検討しています。人によって方法は違うと思うのですが、僕の場合、文章を考える時や、煮詰まった時、考えを整理する時に散歩やランニング、場合によっては山登りに出かけます。
というのも体を動かしているとアイディアや書きたいことがポンポン浮かんでくるんですよね。時には文章の形でポンポン湧いてきたりします。多分これは体を動かすことが一種の瞑想のようになって考えをまとめてくれているんですね。
さて、こうして浮かんだアイディアを家に帰ってから一気にダーっと書き出してしまうわけなのですが、時に「あれ?さっきなんて考えてたんだっけ?」となってしまいます。さっきまで頭の中に飛び交っていた言葉が、さっきまで頭に浮かんでいた文章の流れが、コンピューターの前に座った途端、パッと抜けていったりしちゃうんです。
必要かどうか、自分の価値を高めてくれるかどうか
だから僕の中で音声入力で、その場で書きとめておける可能性があるブルートゥースのヘッドセットは、断の対象にはなりません。便利なだけでなく、必要性も高く、かつ自分の価値を高めてくれるものになるだろう、だと考えられるからです。
僕が「断」するもの
ですがたまに頭に浮かぶ「大きなバックパックに持ちかえようかな?」と言う考えは今「断」の対象です。少し大きなバックパックに持ちかえれるならば、お土産などを入れるスペースもできるでしょう。…そして収拾がつかなくなるのです。
(Ben Melia Cambodia G7)
「捨」てるということ
二つめが物を捨てるということです。
大事なのは「断」と同様に、何もかも捨てればいいというわけではないということです。
僕は最近オーストラリアで所持していた車を手放しました。
これを買った当時は確かに必要だと思っていました。オーストラリアは広大で車がなければ自分ではどこにも行けないからです。
どこでも行くためのものに縛られる
広大なオーストラリア、国の反対に行くには飛行機でも数時間。陸路だと日本縦断の3倍近くになることもあるのです。離れたところで見たいものがあっても、簡単に行くことはできません。では飛行機で行こうと思うと、今度は次の場所に移動する時に、また車のあるところに戻ってこなきゃならない。つまり「どこにでも行くため」に買った車が、今度は「行きたいところに行く」ことを妨げるようになってきてしまったんです。これは意味がありません。
荷物を増やすことはモノに物理的にも精神的にも縛られること
これは車のような高価なものだけに限りません。
確かに道具がたくさんあると便利です。欲しいと思った時にすぐ使えるし、かゆいところに手が届く。ものが増えれば気をつかわないといけないものを増える。ドラえもんのような四次元ポケットを持たない僕たちにとって、荷物が増えることはものに縛られることでしかないことに気づくことができたのです。
(Ayuttaya Thailand ,G7)
ヒトとして生きるためのリストアップする
では何を捨てるかということを考えていきましょう。
まず最初に絞るのはヒトという生き物として生きるために必要なものです。
「これから一週間の間生きるのに必要な物」を、リストアップしていきます。
1年に必要なのは1日に必要なものだけでは、さすがに1年はまかなえません。例えば一週間もすれば爪も伸びるから、爪切りも必要になるし、髭剃りもいる。けれど一週間生きるのに必要なものがあれば、一ヶ月、1年とルーティンさせていくことは可能なのです。
人間として生きるためのものをリストアップする
次に、生き物としてだけでなく、人間として必要なものを絞っていきます。誤解されがちなことですが、物を捨てて荷物を減らすと言うことは、別に高いものを捨てて、安物で周りを固めて生きるとか、そういうことではありません。値段の高い、安いはただの市場の原理であって、本質とは全く関係のないものです。
心穏やかにさせるために必要なら綺麗な服だって必要
僕の場合、バックパックを背負って場所から場所を移動するという生活をしていますから、あまり高価なものは持っていないのは事実です。ただこれは僕自身がおしゃれな服にスペースを使うくらいならば、写真や文章を書くための機材に場所を裂きたいと思っているからに過ぎません。
後悔も我慢も残してはいけない
人によっては自分の心を穏やかに保つためには、綺麗な服やお気に入りの服が必要になるでしょう。綺麗な服を捨てたところで、捨てたことによって後悔が残るのであれば、それは別の形でモノに執着していることには変わりがありません。
減らすことに固執しないこと
「捨」の目的は、持ち物を振り分け、実際に捨てていくことを通して、自分に何が必要なのか、何が必要でないのかを絞りこんでいくことにあります。ものがなくなった状況を我慢するのでも、後悔を残すのでもいけません、自然にその状況を受け入れられるようにしなければいけないのです。
その点で言えば極端に荷物を減らすことに固執している人も、同様に本質からずれているように感じます。これは荷物を減らすというメリット以上に、減らすことに固執している。これもやはりモノに固執していることに変わりがないと言えるからです。
(Newzealand West coast ,D800)
「離」を身につけるために大事なこと
「断」の過程で、本当に必要なものだけが手元に入ってくるようになり、「捨」の過程では持ち物を振り分けました。
この過程がうまくいっているようであれば、今心の中には後悔も、我慢も感じる余地はないはずです。
手元に残った、自分にとって大事なもの、やりたいもの
というのもこうして今手元に残っているものは、自分にとって大事なもの、そして自分が本当にやりたいことに関わるものであるはずだからです。
必要とするものを見極め手にいれるようにしていますから、そこに我慢する必要はありません。人間として譲れないものは残しているから後悔もありません。
「離」を得るためにはモノと一緒に執着芯をも捨てること
逆に言えば手離してから「やはりあれを残しておけばよかった。でも新しくは買えないから我慢しよう」となってしまっているのなら、これは「断」も「捨」もうまくいっていません。モノを捨てる時には自分の心もしっかり見つめて、捨てたモノに気持ちが残らないかどうか、しっかりを考える必要があるんです。
断捨離をしたことのメリット
荷物が少なくなった今、自分は本当に身軽です。
コムローイを見ようと思えばタイに飛び、アンコールワットの写真が撮りたければカンボジアに向かう。自分が行きたい、調べたいと思った時、それを押しとどめるものは何もありません。
モノにこだわる気持ちから解放されたためなのか。それに伴って、心までも落ち着いてきたように感じます。やりたい時間をやりたいだけ使って、自分のやりたいことに集中できる。これ以上ない幸せとやりがいを得られているからなのかもしれません。
まとめ
今の世の中。欲しければ何でもすぐに手に入る時代になりました。
多くのモノを持つ、高価なモノを持つということは、一見豊かで便利なことのようにも思えます。しかしそれはその一方で、モノに自分の体も精神をも縛られてしまうことを意味します。
自分とモノの関わり方を見つめなおすことは、自分を知ることでもあります。
断捨離とは何もかもモノを捨てることでも、自分に我慢を強いることでもありません。
大事なのは、自分の内面を見るめることで自分にとって何が必要なのか見極めることにあるのです。
*1:修行の意味